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共感とトラウマ 1
はじめに-共感は無条件に「良いもの」とされて来た 本章は共感という問題について脳科学的に迫ってみた... はじめに-共感は無条件に「良いもの」とされて来た 本章は共感という問題について脳科学的に迫ってみたい。共感は一見トラウマとは縁がないように考えられるかもしれないが、共感を得られないことは、ある体験のトラウマ性を増すことになる。多くの患者にとって自分の話を信じてもらえなかった、分ってもらえなかったという体験は大きな心の痛手になる。逆に言えばトラウマとなりうる体験も、それを話し、分かってくれる相手と出会うことで、深刻なトラウマ体験となることが回避されるのである。 まず最初に述べておきたいのは、本来私たちは共感をよいもの、人間にとって必要なもの、世界平和につながるもの、と考える傾向にあるという事だ。もとアメリカ大統領のバラク・オバマは「現代の社会や世界における最大の欠陥は共感の欠如である」といったという(「反共感論」 p.28)。 彼の言葉を代弁するならば、「独裁者が少しでもわが子を送り出す自国