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日露開戦の代償-開戦経緯を再検証する・上
先日ある戦史概説本を読んでいたところ、新著であるにもかかわらず、日露開戦の経緯について「ロシア側... 先日ある戦史概説本を読んでいたところ、新著であるにもかかわらず、日露開戦の経緯について「ロシア側で主戦論が台頭し、伊藤博文も外交工作を断念、日英同盟の成立が後押しする形で宣戦布告がなされた」旨の説明がなされていた。典型的な「司馬史観」であり、Wikipediaを始め、日露開戦経緯はほぼ定説化し信じられている。ただ、先に付言しておくと、司馬が『坂の上の雲』を書いた当時は、ロシア側資料が大きく制限されていたこともあって、歴史学の定説でもあり、司馬一人の責を問うつもりは無い。 だが、1990年代以降、ロシア側の文書が公開されたことで、日露戦争の研究も大いに進展があり、特にロシア側の外交、軍事的対応について、従来説の多くが否定されている。例えば象徴的な例を挙げると、『坂の上の雲』でも紹介されている、日露開戦前のロシア内相プレーヴェによる「国内の革命的状況を阻止するために、ちょっとした対外的勝利を得