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日本人と責任 3
約四半世紀前、昭和天皇が重篤の病気になられた時、国民はこぞって自粛し一切の慶賀やイベントを中止し... 約四半世紀前、昭和天皇が重篤の病気になられた時、国民はこぞって自粛し一切の慶賀やイベントを中止した。 そこには天皇の病気を心配するという本来の目的から逸脱し、ひたすら自粛するという外面的な問題だけが一人歩きした。 このため関連する仕事に従事する人は、商売上がったりとなった。 国民一丸となっての自粛ムードに突入したのは誰かが命令したのではなく日本に特有の”空気”がなせる仕業であった。 この現象は論理的に説明できないしその責任の所在もわからない。 上記の事例とはいささか異なるが、”空気”の圧力が特定の個人や集団に向かったならばそれは暴力的な力で彼らを打ちのめしてしまう。竜巻があたり一面を巻き上げるように。 その責任には限度がなく、無限責任となって彼らを苦しめる。 たとえば、2004年鳥インフルエンザ事件が発生し全国へ被害が拡大危惧される中、京都府の農場主がインフルエンザが疑われるにも拘らず府に
2020/09/27 リンク