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F ミシェル・フーコー 1 ボクがミシェル・フーコーを知ったのは、1960年代の終り頃、全共闘運動... F ミシェル・フーコー 1 ボクがミシェル・フーコーを知ったのは、1960年代の終り頃、全共闘運動の火がつく直前です。 大学院の哲学科美学専攻生として博士課程に在籍していたとき、ぼくはヘーゲルの美学を修士論文のテーマに選び[当時刊行されていたヘーゲルの美学のテキストは、正確には「美学講義録」で、それも晩年の聴講生のノートからまとめたものでした。つまり、ヘーゲル自身の手によって書かれたものではない。手稿は序文がちょっと遺っているだけで、あの厖大な「講義」は、かれの死後講義ノートを集めまとめ、そのさい、目次を立てる枠組は、ヘーゲル最晩年の「哲学体系」に従って作ったものでした。しかし、ヘーゲルは早くから美学の講義をしており、晩年の哲学体系の枠組でかれの美学を考えた場合、その初期の頃の美学思想(その体系)はうかがうことはできません。かれの哲学体系に関する思想自体、『精神現象学』(かれが37歳、定職