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丸〆猫
しばらく前に、昔ながらの今戸人形を、東京の土や昔の顔料にこだわって制作されているいまどきさん(吉... しばらく前に、昔ながらの今戸人形を、東京の土や昔の顔料にこだわって制作されているいまどきさん(吉田義和さん)が、ご自身のブログに、歴代の丸〆猫が一堂に会している写真をUPしていらっしゃいました。 後列左三体が戦前までの丸〆猫、右二体が嘉永安政(江戸末期)のころの丸〆猫、そして前列三体は、今戸人形最後の、生粋の人形師(今戸焼は窯がたくさんあり、瓦や日用雑器など、いろいろ焼いていた)の尾張屋、金沢春吉翁(1868-1944、明治元年-昭和19年)による作をお手本に、いまどきさんが再現されたものです。 嘉永安政スタイルの招き猫は、近世遺跡から出土した丸〆猫をお手本に型を起こし、色はすっかり剥げてしまってわからないので、いまどきさんは江戸後期の作と思われる今戸の伝世品の色味で再現されています。 招き猫がいつ頃生まれたはっきりしません。 しかし、歌川広重の『浄るり町繁華の図』(嘉永5年、1853年)