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嗚呼、負け犬の遠吠え日記 「差別扇動は『表現』ではなく『暴力』である。よって、差別扇動が『表現の自由』のひとつとして擁護されるべきか否かという議論は、誤りである」(byPAN太氏)
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どうも、こんにちは。 最近「差別主義」や「レイシズム」などと呼ばれる、特定の人種・民族などの属性を... どうも、こんにちは。 最近「差別主義」や「レイシズム」などと呼ばれる、特定の人種・民族などの属性を持つ人たちに対する差別的な言説・言動や運動など。 中には、特定の民族に対して「殺せ」だの「レイプしろ」だの犯罪的とも言えるような酷い言説を、公の場で吐き散らすなどと言うケースもあります。 そのような言説や運動に反対し、または否定する動きもあります。 が、そのような反差別に対しても「民主主義に反する」「差別主義もひとつの主張として認めるべき」などと言って、「差別主義」や「レイシズム」を肯定させようという言説もみられます。 しかし、本日見かけました、PAN太氏の差別主義に対する連続ツイートは、後者のような「民主主義を装った差別主義肯定」や、そんなものを認めさせようとする浅薄な「平等主義」のおかしさを明快に喝破。 そんなものが世界に全く通用しない非常識でしかないことを教えてくれます。 今回は、そんな