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時の螺旋構造と歴史認識 - 苫小牧福音教会 水草牧師のメモ
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時の螺旋構造と歴史認識 - 苫小牧福音教会 水草牧師のメモ
先週、北海道聖書学院でお話したことのイントロで話した4点のうち1点です。 (前略) a 創世記1章か... 先週、北海道聖書学院でお話したことのイントロで話した4点のうち1点です。 (前略) a 創世記1章から11章 では、今回、他の聖書の箇所でなく、特に<創世記1章から11章>をアウトラインとして採用する理由はなにか。創世記1章から9章には、万物と人類の創造、人類の堕落、神の救いの約束、堕落の後の二種類の人類の歩み、そして最後の審判としての大洪水にいたるまでの歴史が凝縮されて記されている。人類の歴史は一度始まり、一度は終わったのである。今、我々が生きている歴史はいわば二度目の歴史である。ここには、神観、人間観、堕落と贖罪の約束、環境観、歴史観、文明観、最後の審判といったことが凝縮されて啓示されている。加えて10章、11章には再出発後の人類の最初の出来事としてバベルの塔の事件が記されている。創世記1〜11章を見るならば、神の前での人類の歩みの論点が明瞭である。・・・これが創世記1章から11章をア