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5/26 やっぱり大政翼賛会時代のままの公職選挙法 - きょうも歩く
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5/26 やっぱり大政翼賛会時代のままの公職選挙法 - きょうも歩く
引き続き、「日本選挙制度史」を読み進む。 1930年代からの選挙粛正運動の成果として大政翼賛会の成立、... 引き続き、「日本選挙制度史」を読み進む。 1930年代からの選挙粛正運動の成果として大政翼賛会の成立、そして戦後に入り、公職選挙法が成立するまで。 きれいな選挙、出たい人より出したい人という合い言葉が、大政翼賛会の候補者選定過程に使われている。以後こうした言葉遣いは気を付けたい。 町内会(当時は隣組)が地方議員の選挙の推薦・運動母体となるのもこの頃。大政翼賛会が町内会に候補者を推挙させた。狭い自治体の中で、おらが町内の代表と候補者を出し合い、土着性を競い合う地方選挙のスタイルは、暗黒の昭和10年代の発明なのか。 大政翼賛会については、政党の自殺と、民主政の放棄の側面だけで暗黒時代の状況を語られているが、選挙粛正運動のなれの果てにできた組織であるという側面を忘れないようにしないといけないと思う。 この時代に、個別訪問に加え、言論の選挙では不可欠ともいえる、ビラや看板など文書図画の規制も、選挙