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長谷川町蔵の文章: 「女唄」推論
2011年1月4日火曜日 「女唄」推論 NHKの「ソングス」の再放送をボンヤリ見ていたら、徳永英明が女性シン... 2011年1月4日火曜日 「女唄」推論 NHKの「ソングス」の再放送をボンヤリ見ていたら、徳永英明が女性シンガーの曲ばかりカバーしていることに気がついた。しかしさほど違和感がないのは、男性歌手がゲイでもないのに女ごころを切々と歌う、我が国独自の「女唄」の伝統があるからだろう。その直接的なルーツは昭和のムード歌謡にある。 内山田洋とクールファイブ「長崎は今日も雨だった」(1969年)。 「そして、神戸」(1972年)、「東京砂漠」 (1976年)など、 彼らのヒット曲は基本的にすべて「女唄」だ。 クールファイブと同じく九州のナイトクラブ出身の秋庭豊とアローナイツ「中の島ブルース」(1973年) これらの曲の主人公は、明らかに水商売の女性で、彼女たちの身の上話を会話体で起こしたようなものが多いのが特徴だ。マッチョイズムを追い求めた結果、”男にとって都合のいい女性になりきって歌う”という
2011/01/14 リンク