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嬉野さん日記(鑑賞する人の努力): あんたジャージでどこ行くの
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嬉野さん日記(鑑賞する人の努力): あんたジャージでどこ行くの
う、昨日の嬉野日記は秀逸だ。過剰→に期待して→「ちんけな展示品」→を前に→して落胆する。 だいたいこれ... う、昨日の嬉野日記は秀逸だ。過剰→に期待して→「ちんけな展示品」→を前に→して落胆する。 だいたいこれが、一般的にありがちな反応パターンですね。 これではいけない。 ではどうするのか。 まったく期待しない→で出かけて→「ちんけな展示品」→に過剰に反応→して感激する。 これです。 以前からどうでしょうのディレクター陣は「期待」と「期待のインフレーション」についてよく考えていると思っていたけれど、今回も秀逸。 こういうのって実は、普通の美術館とか博物館にも言える事で、つまり鑑賞というのは「対象物と自分との関係性を築く事」ですからね、鑑賞者の努力というのが必要な場合が多い。そういうの無しにガーンと心の中に入ってくる作品もあるけれど、それは余程の物なのだと思う。それに、そういう物を受け入れるためには精神が開いた状態じゃなければいけないわけで、その、精神のコントロールっているのは鑑賞者の責任だからね