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WINEPブログ 放射能の検出の思い出
放射能の検出の思い出 1960年に入学した東大教養学部(駒場)の学生の頃、農学部の肥料学教室の教授... 放射能の検出の思い出 1960年に入学した東大教養学部(駒場)の学生の頃、農学部の肥料学教室の教授三井進午教授の「肥料学」の講義を聞いた。 1954年に行われたアメリカの大規模水爆実験を代表とする44回にもわたるビキニ環礁での核実験で、日本にも大量の放射能が飛来した。三井先生は講義の中でその話をしたのである。 三井先生は理研の仁科芳雄博士の弟子で、日本で最初に東京大学農学部に放射性同位元素(ラジオアイソトープ)実験室を立ち上げた人物でもあったので、この核実験の話をはじめとして、放射性同位元素研究の話は、難解であったが迫力に満ちていた。 先生が日本で最初にアメリカの核実験の放射能を検出したのは、4階建ての東大農学部二号館屋上であり、屋上の壁の縁のホコリに放射能があるかと思って、ガイガーカウンターを向けてみると、みるみるうちに数値が上がったので、驚いたということであった。先生は普段から鳥打帽子