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知識、確実性、世界像
■前提■ 世界像として何を考えるか自体、自明ではないが、この議論ではさしあたり、 「大地は私の誕生の... ■前提■ 世界像として何を考えるか自体、自明ではないが、この議論ではさしあたり、 「大地は私の誕生のはるか以前から存在していた」 「僕の名前は平井靖史である」 「ここに二つの手がある」を念頭に置いた。なぜか、については本論を参照。 ■1■ 「知っている」ということ <知識>:(知識の条件ではなく)知識の主張の条件 ?世界像は知識と呼べるんでしょうか? 知識主張の<正しさ>(←→知識内容の<真>)は、当該知識の獲得過程の呈示可能性にある。 ×「真なる信念」←「知識」(←→○「真なる信念」→「知識」) :「真なる信念」は、「知識」の十分条件であって必要条件ではない。ところが世界像は、獲得過程の無知を特徴とする。→だから「知識」とは言えない。 ■2■ 確実性の度合いと絶対的確実性 <主観的確実性>: ?では、確実性でしょうか? 確実性の度合い 絶対的確実性 →どちらも結局所詮は「主観的」。だ
2006/07/04 リンク