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asahi.com:英語教育-マイタウン多摩
先般、赤塚不二夫氏の追悼文(8月5日の朝日新聞朝刊)の中で、哲学者・鶴見俊輔氏が日本の英語教育に... 先般、赤塚不二夫氏の追悼文(8月5日の朝日新聞朝刊)の中で、哲学者・鶴見俊輔氏が日本の英語教育にふれている。 「日本の英語教育は、百五十年にわたる政府の投資として失敗した。(中略)戦前でいうと、中学五年、高等学校三年、帝国大学四年をへて英語を書くこともできず、話すこともできず、きくこともできない。(中略)英語はこの長い年月、入学試験で受験生をふるいおとす道具として使われた」 まさに、然(しか)りである。いまだに日本中の大学で、旧態依然とした講読中心の授業がなされている。それも、専任教員が教えるのならまだしも、他大学からの時間講師に任せっきりという現実が一般化している。学生の能力差もおかまいなしだ。 こうした授業では90分1コマで読める英文の量はせいぜい4、5ページにすぎない。通年の30週間で200ページにもならないだろう。単位取得はできても英語の運用能力など身に付かないし、そも