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ここ数年にわたり、特に意図したわけでもなく、面白いこと、楽しいことに共振する身体の自然なふるまい... ここ数年にわたり、特に意図したわけでもなく、面白いこと、楽しいことに共振する身体の自然なふるまいのままに、専門領域の外にも踏み出していき、その結果、即興演奏を中心にした音楽から、ダンスを中心にした身体表現へと批評対象が移行していくという個人的な事件に巻きこまれている。ダンスを本格的に観はじめて日が浅いだけでなく、必要に迫られて読書傾向が変わったり、言葉や感覚のありようが組み変わったりしていることから、音楽やダンスの時評めいた作業はできなくなっている。対象の動きを追うためには、こちらの身体が固定していなくてはならない──そのような “批評的身体” が実際に存在するかどうかは、あらためて考えるべき問題だが──のだろう。しかし、現在では、すべてが定点をもたず、演者も観者も、おたがいに動きあうなかでポジションが決まるのが常態となっている。こうした批評基準を立てることの困難さにこそ、現代の病理がある