エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
長野県の歴史を探し求めて 信濃の武将
出自が謎な小笠原氏の重臣 今回は現在の安曇野市豊科の一部(住吉庄の一部)を支配した二木氏について調... 出自が謎な小笠原氏の重臣 今回は現在の安曇野市豊科の一部(住吉庄の一部)を支配した二木氏について調べてみたいと思います。 ただ素人ですので色々な資料に出てくる二木氏の事跡を時系列に並べる程度しかできませんが。。。。 この後に二木氏の居館跡などを紹介する関係で避けられないので、お付き合いください。 ~ 出自について ~ ①小笠原貞宗は足利尊氏に随い信州各郡に北条に与力する武士を討伐し、その戦功として建武2年9月尊氏の判を以て住吉庄 の地頭職を与えられた。 ※元々、住吉庄南部は西牧氏が地頭職として勢力を広げていたが、北条方として参戦したために勢力が衰退した。 貞宗の四男小笠原七朗政経は、住吉庄内の二ッ木郷の地頭職を分与され二ッ木郷に居館を構え、応永6年8月卒す。 その裔小七朗貞明は二ッ木に生まれ、二木を屋号とした。 ②「梓川村誌」では、「二木氏は元来西牧氏の氏人であったが、住吉庄が小笠原氏の支