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思惟の記憶 ハイデガーとアドルノについての試論 : アレクサンダー・ガルシア・デュットマン
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思惟の記憶 ハイデガーとアドルノについての試論 : アレクサンダー・ガルシア・デュットマン
アレクサンダー・ガルシア・デュットマン 著・大竹弘二 訳(月曜社) 『友愛と敵対 絶対的なものの政治... アレクサンダー・ガルシア・デュットマン 著・大竹弘二 訳(月曜社) 『友愛と敵対 絶対的なものの政治学』によって注目をあびた若き俊英ガルシア・デュットマンの著書『思惟の記憶』(A5判・340頁・4800円・月曜社)がこのたび刊行された。本書はデュットマンのフランクフルト大学に提出された博士論文であり、その意味では彼のその後の仕事にとっての出発点に位置する処女作ともいうべき著作である。 デュットマンは前著『敵対と友愛』において、カール・シュミットが政治空間の実定性を決定づける最大の要因として導入した「敵対」という線分を内在的に脱構築し、それを通じて晩年のデリダの重要な主題であった「友愛の政治」の可能条件の解明へと向かおうとした。その際にポイントとなったのは、「敵対」という線分のうちにはじつは内部=此岸としての敵と外部=彼岸としての敵とのあいだの決定不能な二重性が孕まれており、敵と味方という一