エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
幸福の手段にすぎない:美的価値の規範的源泉について - #EBF6F7
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
幸福の手段にすぎない:美的価値の規範的源泉について - #EBF6F7
ワークショップ「作者の意図、再訪」が無事閉幕しました。 上記リンク先の記事の一番下に、僕の発表「創... ワークショップ「作者の意図、再訪」が無事閉幕しました。 上記リンク先の記事の一番下に、僕の発表「創造的行為における意図とその明確化」の発表資料を置いているので、気になる方は確認してみてください。 ようやく多少余裕ができたので、先日応用哲学会で行われた銭清弘さんの発表「美的に良いものはなにゆえ良いのか:モンロー・ビアズリー再読」に触発されて考えたことを書いてみます。 美的価値の規範的源泉の問い:三つの立場 私の目的は、美的価値の規範的源泉の問いと幸福論の接点を明らかにすることで、この問いの意義を明らかにすることである。 まず、美的価値の規範的源泉をめぐる議論について、私なりの素描を与えてみよう。 エーデルワイスは可憐だ。このとき、私はエーデルワイスを眺める理由をもつ。 可憐さは美的価値であり、美的価値は眺める、飾る、愛でる等々の理由を与える。 では、なぜ美的価値は理由を与えるか、これが美的価