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『孝謙女帝は、はじめ藤原仲麻呂を「寵愛」していたのか? まったく否です。』
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『孝謙女帝は、はじめ藤原仲麻呂を「寵愛」していたのか? まったく否です。』
えいいちのはなしANNEXこのブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページ... えいいちのはなしANNEXこのブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。 孝謙女帝は、はじめ藤原仲麻呂と男女関係にあった、という話をする人が、まだいますが。 これは明らかに、間違いです。 藤原仲麻呂を取り立てていたのは光明皇太后であって、孝謙天皇はむしろ仲麻呂を嫌っていました。光明皇太后は「藤原 べったり」の人で、実家の繁栄しか考えていませんでしたから、一族の利益代表として仲麻呂を頼りにしていたのです。仲 麻呂を優遇する数々の勅令は、形式的には孝謙天皇の名前で出されますから、後世の学者が資料を調べると、まるで孝謙と 仲麻呂が親密なように見えるだけです。 孝謙女帝という人は理想家というか潔癖症というか、むしろ私利私欲で母に取り入って政治