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『面倒な国とは深い付き合いはするな』
李氏朝鮮が何百年もの間、中国の制度をまねながらも、その中国以上に儒教的な専制君主政治になったのは... 李氏朝鮮が何百年もの間、中国の制度をまねながらも、その中国以上に儒教的な専制君主政治になったのは、政権内部の脆弱さにある。政治は強権であったが、その理由は統一の取れない内紛や分裂が多かったからである。中央集権制を強化しなければ、権力の維持が保てなかった。おまけに狭い国土であるから、ある意味、それがやりやすかったのだろうか・・・ お話はそれますが、韓国人は、韓国の領土面積は日本より広いと信じているものが多いそうだ。 李朝の官僚には、文班と武班(武官)があり、総称して両班_(やんぱん)と呼ばれた。そして実質的には文班が絶対的優位にあり、身分制度の頂点をきわめていた。しかもそれは世襲制で、我が世の春を謳歌した。 身分制度は四つに分かれ、両班、中人、常民、奴婢。頂点に立つ両班は下の身分の者に対し、生殺与奪の権利さえ持っていたというから恐ろしい。 日本の武士には、そのような生殺与奪の権利はなかった。