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『「ニセ科学批判への違和感の本質」への違和感』
昨日、論宅氏のエントリを批判する形で「科学とスピリチュアルと相対主義」というエントリ を書いた。そ... 昨日、論宅氏のエントリを批判する形で「科学とスピリチュアルと相対主義」というエントリ を書いた。そうしたら、それへの回答のようなエントリが新たにあげられていた(「ニセ科学批判への違和感の本質」 )。もちろん、私に対してというより、「(考え中)」さんへの回答なのだろうけど、論宅氏の意図はともかく、私のエントリに対応している部分が多であるので、幾つかコメントしておく。 論宅氏に典型的なのが、「事実そのもの」と「事実とみなされているもの」を混同していることである。特に、科学においては、人間が(たとえば)法則として認識しているものは「事実そのもの」ではなく大勢の科学者によって現在のところ近似的に「事実とみなされているもの」である。仮にある事象について科学者全員が同じ認識を持っていたところで、常にそれが事実ではないという可能性が留保される。その可能性の大小は別にして。 論宅氏は「それは同じものだ」と
2009/07/09 リンク