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『キャサリン・オブ・アラゴン』
ヘンリー八世の最初の王妃、キャサリン・オブ・アラゴンは、後のイングランド女王メアリー一世、別名ブ... ヘンリー八世の最初の王妃、キャサリン・オブ・アラゴンは、後のイングランド女王メアリー一世、別名ブラッディメアリーの母でもあります。 その名の通りアラゴン王の父とカスティリア女王の母を持つ統一スペインの王女で、ヘンリー八世との仲は極めて良好でした。 結婚して2年後、夫ヘンリー八世が対フランス神聖同盟による対フランス戦争で大陸に渡ります。 イングランド王の不在の隙にスコットランドが攻めてくるのは、もはやお約束のようなものです。今回もやはり、そうなりました。スコットランド王ジェームズ四世は、イングランド領内に侵入すると、いくつかの伯爵領で略奪を行い、拠点を築きはじめたのです。 これに対して、キャサリンは自ら甲冑に身をまとって軍を指揮し、スコットランド軍を撃破します。戦場でスコットランド王ジェームズ四世を戦死させさえします。 その後、ジェームズ四世の幼い遺児ジェームズ五世をスコットランド王とし、王