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『中世欧州の戦争』
百年戦争をはじめとする中世欧州の戦争は、地方領主が雇った傭兵団と傭兵団の戦いでした。数百人対数百... 百年戦争をはじめとする中世欧州の戦争は、地方領主が雇った傭兵団と傭兵団の戦いでした。数百人対数百人の小さな戦争です。 しかし、王が外国と戦争をする場合などは大規模な軍隊が必要になります。そういう場合、王は支配下の地方領主が雇った傭兵団をまとめて連合軍とし、これを国軍として運用していました。 傭兵は契約によって戦争をするわけですが、彼らは戦場を渡り歩き、その場その場の契約でお金をもらう存在です。雇用者がいない状態の時は、農村を襲って略奪して糊口をしのぎ、戦時中にも敵の所有する農村や都市が目の前にあれば、戦闘に加わるよりもそこを略奪する事を優先しました。もちろん、敗戦は略奪の時間もうまみも奪い去りますから、勝てる戦いを棒にふってまでというわけではありませんが、勝ちに貪欲でなく略奪に貪欲だったのは事実です。 傭兵は、武装から何から自弁でまかなっていましたが、何より大事な商売道具は命そのものです。
2016/12/22 リンク