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『2007/3/4』
俳句界の巨匠、金子兜太さんが毎号送ってくださる雑誌『海程』の冒頭には、いつも金子さん自身の句が幾... 俳句界の巨匠、金子兜太さんが毎号送ってくださる雑誌『海程』の冒頭には、いつも金子さん自身の句が幾つか載っているのだが、その「東国抄」という連載の中に今回こんな一句があった。 際(き)りもなく薯食う関東流れ者 とにかくシビれた。 なんというイメージだ。 イモをもりもり食っている流れ者の図。筋肉の動きと存在の暴力性とおかしみ。 それらの抽象的な映像と観念と感覚が脳の奥でちかちかする。 俳句の中に仁侠の世界を入れ込んでしまう、まさに金子兜太ならではの東国性あふれる作品だが、兜太さんが根城とする秩父はかつての困民党の根拠地でもあり、反権力運動にヤクザ者が関わった歴史を持つのだった。 当時の仁侠界には人民と共にあることを目指す者たちがおり、彼らは権力にすり寄らなかったのである。そのことも一応は押さえておく必要がある。 さらに、鎌倉武士たちが和歌の世界に対抗してもった、そもそもの関東の美意識革命を思い