エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
『山本五十六長官は愚将ではない(11) 米内・山本批判と終戦時の陸軍について』
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
『山本五十六長官は愚将ではない(11) 米内・山本批判と終戦時の陸軍について』
裕鴻のブログ 半世紀に亙り海軍史を研究、共著NHK出版新書「山本五十六 戦後70年の真実」は制作したBS1... 裕鴻のブログ 半世紀に亙り海軍史を研究、共著NHK出版新書「山本五十六 戦後70年の真実」は制作したBS1番組の書籍化です。ぜひご一読ください。祖父と父が学んだ海軍兵学校の伝統に想いを馳せつつ、通算二十年、潮風薫る海上勤務で養った「鳥の眼と虫の眼」の視点で語ります。 さて、本連載も前回で十回目を終え、ここで一旦区切りとしたいと思いますが、最後に山本長官が最も尊敬し信頼していた上官である米内光政海軍大将に触れたいと思います。終戦を鈴木貫太郎首相や東郷茂徳外相とともに強力に導いた最後の海軍大臣ですが、戦前も海相として山本五十六海軍次官と井上成美軍務局長のトリオで第一次日独伊三国同盟締結を阻止しました。その後請われて首相となり、その際海軍からは筋を通して予備役となって離れ、米英との対立を避けようと努力しますが、陸軍が畑俊六陸相を辞任させて後任を送らずに倒閣させました。暫くは舞台から退きますが、東