エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
最近「日本人として」を多用する人が急増した事について思うこと
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
最近「日本人として」を多用する人が急増した事について思うこと
普通、日本語の文章で書かれた日記を見ると、普通は「日本人」という感想よりも前に、この人の日記は面... 普通、日本語の文章で書かれた日記を見ると、普通は「日本人」という感想よりも前に、この人の日記は面白いな、この人の批評は痛烈だなと思うのが一般的な慣例だったはずである。 それなのにわざわざ「日本人として」とか「日本として」と書くのは何でだろうと思う事がある。 「日本人」という単語がそれほど大きな効力を持つとは考えにくいが、多用する事で訴えたい何かがあるのだとすれば、それは陳腐な事だろう。 これを多用する人間はどういった人達なのだろうか。 実際の所、これを多用するのは自分自身に後ろめたい事実があって、それを「日本人として」という事に置き換えてるのではないか、と考える。 総じて、「日本人」が「日本人として」と書くのは実にヘンな話である。 日本人は愛国主義を謳うのが当然という風潮が昔からあった。 昨今は隣国との冷えた関係から嫌韓や反中がネット上での常識となり、その国や人となりを風刺するのが常となっ