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「個人の内面」や「自我」と呼ばれるものも、またある種のゲームではない..
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「個人の内面」や「自我」と呼ばれるものも、またある種のゲームではない..
「個人の内面」や「自我」と呼ばれるものも、またある種のゲームではないだろうか? 表現する行為を通し... 「個人の内面」や「自我」と呼ばれるものも、またある種のゲームではないだろうか? 表現する行為を通してしか「内面」や「自我」は現れないのだから、それらは「ある性格類型(キャラクター)が、この場面でどう発言するかを過去との一貫性を保ちながら場面に応じて工夫し、時には意外性のある発言をして、キャラクター性自体をも新たに構築する」ような創造的なゲームだと言えるかもしれない。 そして、我々は複数のゲームに同時に取り組むこともできる(複数のマルチエンディングRPGを同時に行うとき、あるゲームでは英雄を演じ別のあるゲームでは混沌の王を演じることも可能だ)のだから、現実世界でも、「個性と自我ゲーム」を遊びつつ、ときには「公式儀礼ゲーム」を行ってもよいのではないか。両者で我々が演じるキャラクターは(質的にも)異なるが、二つのゲーム自体に決定的な差異や、まして優劣などないのではないか。