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安寿塚と韃靼(だったん)塚 - 地理の部屋と佐渡島
【写真で紹介・安寿塚と韃靼(だったん)塚・鹿ノ浦から】 平根崎を後にして、次なる南片辺という集落へ... 【写真で紹介・安寿塚と韃靼(だったん)塚・鹿ノ浦から】 平根崎を後にして、次なる南片辺という集落へ向かう途中。鹿ノ浦トンネルがある。これを過ぎてすぐのところに安寿と厨子王の碑がある(写真①)。 写真① 写真②(安寿と厨子王の碑・解説) この安寿と厨子王丸の物語には心打つものがあり、子供向けに語られるものとはべつに、大人達にもある種の郷愁を呼び起こすもの有りだ。 親子の情をモチーフにしたこの悲しい物語の舞台の一つとして、外海府はうってつけであった。ここ鹿ノ浦はいまものどかで人気もない静かなところ。今や誰も目もくれないのか、ひっそりと塚が残っている(写真③~⑥)。 写真③ 写真④ 写真⑤ 写真⑥ 近くに韃靼塚がある(写真⑦)。地元の方に教えてもらったものだ。ダッタンはタタール。モンゴル系遊牧民の仲間であると解説を読んだ。かつてこの近く(藻浦崎)にそのダッタン人の船が漂着したという言い伝えがある
2022/02/13 リンク