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日暮里崖線の消えた坂道をめぐる(その2) - マーちゃんの数独日記
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日暮里崖線の消えた坂道をめぐる(その2) - マーちゃんの数独日記
4月28日(日)、日暮里崖線の消えた坂を次の様に巡った。 善光寺坂→(言問通り)→寛永寺坂駅→谷中霊園→... 4月28日(日)、日暮里崖線の消えた坂を次の様に巡った。 善光寺坂→(言問通り)→寛永寺坂駅→谷中霊園→御隠殿坂→御隠殿跡→芋坂→紅葉坂→御殿坂 (青字が該当坂) 京成本線が上野から日暮里へ向かう地下駅に「博物館動物園駅」だけではなく「寛永寺坂駅」があったとことを最近知って、まずはその駅はどこにあったのかを探った。その駅への入口は言問い通りを谷中から善光寺坂を昇り、谷中霊園へと左折する辺りにあったらしいが「動物園駅」の様な遺構は見つからなかった。電車の通る轟音が聞こえ、その音を頼りに進むと上野山隧道を抜け日暮里へと向かう京成電鉄が見えた。トンネル入口には「東臺門」と書かれた扁額が見えた。(写真:トンネルを抜ける京成特急) 帰宅して調べるとこの扁額は「揮毫は京成電気軌道の創立者、本多貞次郎によるもので、左端に縦書きで昭和八年の日付と同氏の署名がある。 この地下線が開通した当時、本多は京成の社