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寄り道・『隋書倭国伝』の阿蘇山について② - 古代日本史への情熱
記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にある... 記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史 次に①の場合です。 日本人が「あそ」と発音し、中国人が「阿蘇」と記すのもおかしいのです。 『隋書倭国伝』の「阿蘇山」の「阿蘇」は、本当に「アソ」と読むのでしょうか、ということです。 『隋書倭国伝』では 《大業三年、其王多利思比孤遣使朝貢。使者曰:「聞海西菩薩天子重興佛法、故遣朝拜、兼沙門數十人來學佛法。」其國書曰「日出處天子致書日沒處天子無恙」云云。帝覽之不、謂鴻臚卿曰:「蠻夷書有無禮者、勿復以聞。」》 大業三年は推古15年(607)とされています。 有名な部分ですが、それと関係なく、問題は、この「使者」なのです。 これは、「小野妹子」であるとされています。 日本書紀の推古15年7月の条に「小野妹子を大唐(もろこし、事実では隋)に遣わす」とあるからです。 そして、推古16
2020/01/28 リンク