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演劇の可能性 2 昔、市街劇があった。 地球「環境問題」ではなく地球「危機」 - gooブログはじめました!
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写真付きで日々の思考の記録をつれづれなるままに書き綴るブログを開始いたします。読む人がいてもいな... 写真付きで日々の思考の記録をつれづれなるままに書き綴るブログを開始いたします。読む人がいてもいなくても、それなりに書くぞ A.天井桟敷の市街劇 寺山修司という名は、ぼくには『書を捨てよ街へ出よう』という書物の記憶に結びついている。この本は1969年芳賀書店から刊行された評論集で、表紙は横尾忠則のイラストだった。この頃、寺山は詩人・歌人としての活動から演劇に重点を移す一方、青少年に向けたメッセージを次々本にしていた。「家出のススメ」とか「競馬」とかの本も書いていた。同じ頃に旗揚げした劇団・演劇実験室・天井桟敷の第7回公演(1968年)で「ハイティーン詩集 書を捨てよ町へ出よう」がこんどは演劇作品として発表された。当時はアングラ演劇と呼ばれたブームが起こり、69年夏に新宿・花園神社隣にあった建物(閉店したスナック「パニック」の建物を公演用に改装)で2ヶ月間のロングラン公演。この公演は夜の新宿名