エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
大正ペスト騒動② - 花の四日市スワマエ商店街
大正5年12月、必死の防疫が効を奏し、その月の感染者は6名にとどまった。終息を迎えた安堵の気持ち... 大正5年12月、必死の防疫が効を奏し、その月の感染者は6名にとどまった。終息を迎えた安堵の気持ちと再発防止を祈念して、12月27日、諏訪神社で終息報告会、諏訪公園では祝賀会を開いて大正6年の新年を迎えた。 海蔵村で、網を使っての捕鼠隊の活躍 ところが、1月に1名、4月に1名の患者が発生し、再度の恐怖が懸念された。そこで関係者と市民の徹底した防疫対策が実施され、ペスト禍は半年余りで完全に鎮静化した。発病者61名、内54名が死亡している。なんと9割近い死亡率だった。このほか下野村と海蔵村で各1名の死亡が出ている。患者の約半数の30名は、東洋紡の建つ浜町から、次に北条町の11名、北納屋町の5名、浜一色の3名、その他 中納屋・南納屋・八幡町から罹患者が出ている。 中央に架かるのは旧慈善橋。西に四日市病院、東 関西鉄道沿いに伝染病消毒所と細菌検査書が建つ。 続出するペスト患者の為、市では市立伝染病院