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不幸にムダや損は無い - 伊勢ー白山 道
私たちは、不運な事が有ると悲しんだり不安に成り、更なる次を心配します。 しかし、その不運と思える事... 私たちは、不運な事が有ると悲しんだり不安に成り、更なる次を心配します。 しかし、その不運と思える事を、本当の不幸として「固定させる」のか否かは、自分次第なのです。 私などは、嫌な事が有りますと「ああ、有り難い」と心底から思っています。自分が感謝の信仰を行い、良心に沿った生活をする上で訪れてくれる不幸には、必ず意味があるからです。 もし嫌な事が自分にあっても、これで返すべき霊的な借金が減った、代わりに病気に成らないで済む、大難が小難に成った、これから良い事が起こる合図だ、などと自然と思っています。 そうしますと、後で過分な幸運を受ける事が、今までの人生でありました。嫌な事は、幸運を得るための外せない大切なプロセスだった事が、後から考えると良く分かるものです。まあ、基本的には何も無く、平凡な日常を今は生きています。 人間は、ムダや損な事を嫌がるものです。しかし、この世では注意していても「起こる