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明るい「ダメダメ」思考は、自分を救っている - 伊勢ー白山 道
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明るい「ダメダメ」思考は、自分を救っている - 伊勢ー白山 道
ふと、親鸞(しんらん:1173年 - 1263年 浄土真宗の宗祖)さんのことを思い出しました。 あくまでも似... ふと、親鸞(しんらん:1173年 - 1263年 浄土真宗の宗祖)さんのことを思い出しました。 あくまでも似たような名称の現代に伝わる解釈や組織では無くて、「当時の」親鸞さん「だけ」を思い、参考にします。 親鸞さんは、ご自分のことを、ぐとく【愚禿】とよく自称されました。 自分は頭が禿げた、ただの愚かな人間ですと。 自分は弱い人間であり、スケベで、頭が悪いし、おまけに顔も悪い。 だからこそ自分は、阿弥陀様を忘れることが無い。 常に、阿弥陀如来と共に生きるしか生きる道は無いだろう。 私はアホだから、日々、真面目に一生懸命に勉強しないと、他人様のように正しく生きられない。 でも、人生を振り返ると、自分は愚か者だという「自覚」こそが、自分を人並みの生活をさせていたことが良く分かる。 もし自分が、私は聖なる人間だ、他人よりも賢い、と自覚していたならば、その心には阿弥陀如来を思うことが有ったのだろうか