エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
新しい変化像/観音像とは何か(君島彩子) - 見もの・読みもの日記
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
新しい変化像/観音像とは何か(君島彩子) - 見もの・読みもの日記
〇君島彩子『観音像とは何か:平和モニュメントの近・現代』 青弓社 2021.10 本書は、新しい信仰対象... 〇君島彩子『観音像とは何か:平和モニュメントの近・現代』 青弓社 2021.10 本書は、新しい信仰対象である「平和を象徴する観音像」の誕生とその展開を明らかにするものである。我が国では、特にアジア太平洋戦争(第二次世界大戦)後に、戦没者の慰霊と平和祈念のために多くの観音像が発願された。ただし本書はさらに歴史を遡り、長い歴史を持つ観音信仰と観音像が、近代の始まりとともに、どのような変化を迎えたかから語り始める。 明治期には、近世までの庶民的な仏教信仰は薄まり、「哲学」としての仏教と、「美術」として仏像を見る意識が強固になった。日本で美術概念が形成される過渡期の明治20(1887)年前後、美術の主題として観音像が流行した。代表的な絵画作品に狩野芳崖の『慈母観音』(1888年)と原田直次郎の『騎龍観音』(1890年)がある。 1889年には東京美術学校の彫刻科が開校して美術史教育が始まり、明治