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不可能な「自己」 - 恐山あれこれ日記
仏教の初期経典には、 「〇〇は『わたしのものではない、わたしはこれではない、わたしの我(実体)では... 仏教の初期経典には、 「〇〇は『わたしのものではない、わたしはこれではない、わたしの我(実体)ではない』」 という文句が繰り返し出てきます。仏教が「わたし」の実存に直接言及する、最も基本的な言い方です。これをよりわかりやすく書き換えると、 「Aはわたしのものではない、わたしはAではない、Aはわたしの我ではない」 ということでしょう。「A」とは「五蘊」すべて、要するに任意のものです。 「Aはわたしのものではない」とは、「所有」が対象を思い通りにすることを意味する以上、この文句は「思い通りにする」行為で「思う主体」を根拠づけることは不可能だと言っているのです(ということは所詮、デカルト的な「思う故に、有り」は成立しない)。 次の「わたしはAではない」とは、Aが任意である以上、言語によって行われる「自己」の認識はすべて成立しない、という意味になります。同時に、言語化されない「自己」認識は自分以外
2017/06/11 リンク