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「天皇さん、お帰りなさい」と呼びかける京都人の感覚 - 行雲流水の如く 日本語教師の独り言
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「天皇さん、お帰りなさい」と呼びかける京都人の感覚 - 行雲流水の如く 日本語教師の独り言
かつて宮内庁担当記者をしていたころ、両陛下の同行で京都に行ったときの忘れ難い思い出がある。京都駅... かつて宮内庁担当記者をしていたころ、両陛下の同行で京都に行ったときの忘れ難い思い出がある。京都駅を降りると、出迎える人垣の中から「天皇さん、お帰りなさい!」と叫ぶ声があった。「天皇さん」という親しみのある呼び方に加え、「今は仮に東京に住んでいるだけ。だから京都御所に帰ってきたのだ」という感覚に驚いた。 今回の京都旅行でも天皇の存在を強く感じた。天皇家が刻んだ歴史の深さと現在の不在がもたらしている溝の深さ、である。 同志社大の西側にある大聖寺は室町時代、天皇家の内親王を門跡として迎え、以来、「御寺御所(お寺の御所)」の異名を持つ。幕末、光格天皇の皇女、普明浄院宮が寺に入った際、光格天皇は斑入りのカキツバタを「雲井の鶴」と命名して下賜した。同寺院の庭にはなお紫色の「雲井の鶴」が残っている。陶器の鉢にも菊のご紋がある。天皇家との関係が寺院の運営に大きく役立ったが、明治以降、それが途絶えると、文化