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「サイードとともに読む『異邦人』」 - 読書な日々
水林章「サイードとともに読む『異邦人』」(『みすず』2005年6月) この中で水林章さんも自戒の念... 水林章「サイードとともに読む『異邦人』」(『みすず』2005年6月) この中で水林章さんも自戒の念をこめた風に回想しているが、私もカミュの作品を卒業論文で取り上げたけれども、実存主義や構造主義の嵐のふきあれる時代に、とてもサイードのように、被支配者の側から植民地問題を見る視点でもって、カミュの作品を批判的に読むということはできなかった。 当時、といっても私の場合は水林さんとよりもちょっと遅くて、1970年代の中ごろになるが、そういうちょっと遅れて来た時代においてさえも、まだカミュを読むということは、ムルソーの無関心という態度を現代の文明化社会、あるいは構造的疲労をきたしていた社会にたいする批判のありようの一つとして、意味を認めていたのだろうと思う。だから、カミュの『異邦人』や『ペスト』などの作品がアルジェリアの乾いた風土にその舞台を置いているということも、それはムルソーのような無関心を生み
2020/01/31 リンク