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186.東條英機陸軍大将(6)あの東條のような大馬鹿者の言うことを聞くから、大きな間違いをする - 陸海軍けんか列伝
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186.東條英機陸軍大将(6)あの東條のような大馬鹿者の言うことを聞くから、大きな間違いをする - 陸海軍けんか列伝
東條英機の父、東條英教は陸軍大学校一期生でメッケルに師事し、陸大を首席で卒業、明治天皇から恩賜の... 東條英機の父、東條英教は陸軍大学校一期生でメッケルに師事し、陸大を首席で卒業、明治天皇から恩賜の軍刀一振りを賜った。ドイツにも留学し、作戦統帥の権威として頭脳明晰な英教は、当時、将来は陸軍大臣、陸軍大将と栄進するものと見られていた。 だが、日露戦争で東條英教は旅団長として指揮に問題がありと烙印をおされた。また当時、長州閥が陸軍を支配していたため出世を妨げられ(山縣有朋ににらまれた)、日露戦争後、中将に昇進の上、予備役にされた。 このような父の状況から、東条英機は、長州閥を敵視し、陸軍大学校に長州出身者を入学させないなど長州閥の解体に尽力した。 昭和十六年十一月、寺内寿一陸軍大将(陸士一一・陸大二一)は、南方軍総司令官に就任した。寺内寿一は寺内正毅元帥(第十八代内閣総理大臣)の長男である。 寺内正毅は長州出身で、東条英機の父英教が陸軍少将で参謀本部第四部長のとき、参謀次長だった寺内正毅により