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満州事変 島田俊彦 *** - 意思による楽観のための読書日記
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満州事変 島田俊彦 *** - 意思による楽観のための読書日記
日本が中国で戦争への道を進んでいった歴史にはいくつかの変曲点がある。本書では孫文が死んだ1925年か... 日本が中国で戦争への道を進んでいった歴史にはいくつかの変曲点がある。本書では孫文が死んだ1925年から、そうした変曲点を結んでいった。 孫文の死は中国の昏迷を象徴する。旧清朝勢力が馬賊と結んで地方にあり、孫文の国民政府は王兆銘、孫科、宋子文、蒋介石などが勢力を競い、共産勢力も力を伸ばしていた。日本を初めとする列強各国は中国の利権を狙い、北からはソ連が顔を出していた。 1927年頃中国国内での列強進出に不満を持つ中国国民は各国代表に対して暴力事件を起こし、それを口実に各国は兵力を送った。第一次山東出兵がそれである。アメリカは、張作霖と蒋介石が手を組むことや東北三県が張作霖支配下になることを恐れ、日本は張作霖勢力に肩入れしていた。1927年田中義一内閣は満州、中国、朝鮮に駐在する官憲首脳部を集め東方会議を開催、満蒙に関する方針を決めた。 1. 満蒙の資源を獲得するためには満蒙独立、シナ独立を支