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英国の植民地統治(その3) : 太田述正ブログ移転→ www.ohtan.net
太田述正コラム#6469(2013.9.23) <英国の植民地統治(その3)>(2014.1.8公開) 「メインは、イン... 太田述正コラム#6469(2013.9.23) <英国の植民地統治(その3)>(2014.1.8公開) 「メインは、インド人はいわゆるアーリア人種の諸分枝だが、血縁(kinship)に立脚した「自然諸集団」から個人へ、そして「慣習法から市民法(civil law)へ」進歩することができなかった、という意見を陳述した。 すなわち、彼らは、アイルランド人のように、ローマ帝国から裨益することができなかったのだ、と。」(A) →ここは、メインが(忖度するに自覚しつつ、あえて)間違っています。 ブリテン諸島中、現在のイギリスのみがローマ帝国の支配下に入った歴史があることは事実ですが、ローマ帝国のイギリス放棄とアングロサクソンのイギリス「侵攻」の間には時間があり、この間にローマ文明の影響は、ローマ法を含め、イギリスでは失われ、その後、イギリスは、アングロサクソン文化を、その判例法(後にコモンロー)体系
2014/01/08 リンク