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60年安保と姫岡玲二 - 夏目房之介の「で?」
日経「私の履歴書」でスタンフォード大名誉教授青木昌彦という経済学者の自伝エッセイをやっている。こ... 日経「私の履歴書」でスタンフォード大名誉教授青木昌彦という経済学者の自伝エッセイをやっている。この人、じつは60年安保時の伝説の全学連を指導し、日共など既成左翼を批判したブント(共産同)の理論的支柱といわれた姫岡玲二である。一部分しか読んでいないが、60年安保の頃の話が面白い。59年頃、島成郎、唐牛健太郎らと全学連執行部を成し、「ソ連の原水爆にも反対しよう」との発言が出るなど、旧左翼を驚かせ古い体質を脱してゆくときのことを、デモ隊の衝突で逮捕者などが出始める前の〈陽気で牧歌的な時代〉(07年10月5日付⑤)と呼んでいる。 60年安保の国会突入などについて、彼の認識は「相打ち」だったようだ。 〈岸首相は自衛隊の動員まで考えたそうだが、ブントにはさらなる激越な運動を組織する余力もなく[略・安保自然承認となり]これでブントは「敗北」したというのが、ブントの「正統史」だ。だが他の見方もあり得る。こ