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私が「意識が高い」という言葉を使わなくなった理由:竹内義晴の、しごとのみらい:オルタナティブ・ブログ
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私が「意識が高い」という言葉を使わなくなった理由:竹内義晴の、しごとのみらい:オルタナティブ・ブログ
「意識が高いみなさんとご一緒にさせていただくだけでうれしいです」 私の場合、「意識が高い」とは 私... 「意識が高いみなさんとご一緒にさせていただくだけでうれしいです」 私の場合、「意識が高い」とは 私には持ち得ていないビジョン、すばらしい考えや意見を持っている方に 尊敬の意味を込めて使う言葉でした。 本当に意識が高い人は、自分のことを「意識が高い」とはあまり言わず (というより、むしろ謙虚で) 言葉よりも行動や結果で示すようなイメージがあります。 そして、「その考えを持つようになった背景」が さまざまな経験や苦労に裏付けされていることが多いので 「すごいな~」と尊敬せずにはいられません。 でも、最近は少し違う空気感があるようですね。 「意識が高いことが格好いい」というようなファッション的な雰囲気もあって 言葉のイメージにギャップが生じているので 「意識が高い」という言葉はあまり使わないようになりました。 また、「意識が高い」という言葉を使わないようになった理由はもう1つありまして 数年前に