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『「持たざる国」の資源論』書評 「日本は資源が乏しい」のか?|好書好日
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『「持たざる国」の資源論』書評 「日本は資源が乏しい」のか?|好書好日
「持たざる国」の資源論―持続可能な国土をめぐるもう一つの知 [著]佐藤仁 「資源」という言葉は、そう... 「持たざる国」の資源論―持続可能な国土をめぐるもう一つの知 [著]佐藤仁 「資源」という言葉は、そう古い言葉ではないのだそうだ。日清、日露の戦間期にあたる1900年前後から使われるようになり、辞書に載るのは昭和に入ってから。日本は資源を持たない国だ、という概念が日露戦争後に定着し、同時に日本軍の大陸侵出が本格化していった。 資源は日本の外にある、だから、外から取ってこなくてはならない。それが、敗戦までの日本の資源観であり、植民地放棄を唱えた石橋湛山は例外的な存在だった。 47年、経済安定本部に設置された都留重人らの資源委員会は、国内の資源に目を向け、その「生産力の保全」を総合的に構想する。60年まで日本は、エネルギーの半分以上を国産で賄っていた。 ところが、70年代以降、エネルギー消費が爆発的に増え、自給率は原子力発電を算入しても2割を切る。海外での原料確保に力点が移り、石炭や森林など国内