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日本人が「招かれざる客」として武漢へ殺到した時代|辻田真佐憲|文藝春秋digital
★前回の記事はこちら。 ※本連載は第7回です。最初から読む方はこちら。 「武漢三鎮のうち、漢口が下町の... ★前回の記事はこちら。 ※本連載は第7回です。最初から読む方はこちら。 「武漢三鎮のうち、漢口が下町の商業地区とすれば、武昌は山の手の文教地区、漢陽は江岸の工業地区であった」と、武漢兵站司令部で1943年より慰安係長を務めた山田清吉は、その著書『武漢兵站』で述べている。 この記述が示すように、いまコロナウイルスで話題の武漢は、かつて3つの都市に分かれており、そして日本軍の占領下にあった。 日本軍が武漢を占領したのは、1938年10月のことである。「東洋のシカゴ」とも、「中国の大阪」とも呼ばれたこの華中の要衝を落とせば、蔣介石も屈服するだろう。そんな期待も相まって、攻略作戦は華々しく喧伝された。 尾崎士郎、菊池寛、久米正雄、佐藤惣之助、佐藤春夫、林芙美子、吉川英治、吉屋信子ら22名の作家が、「ペン部隊」として大陸に渡り従軍したのはこのときのこと。かれらは帰国後、その従軍記を雑誌などに書きまく
2020/02/08 リンク