エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
なぜ西洋美術はヌードにこだわるのか。裸体だらけの展覧会で考えた | 文春オンライン
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
なぜ西洋美術はヌードにこだわるのか。裸体だらけの展覧会で考えた | 文春オンライン
オーギュスト・ロダンの《接吻》。照明を落とした室の真ん中に、大理石の白さを際立たせながらこの巨大... オーギュスト・ロダンの《接吻》。照明を落とした室の真ん中に、大理石の白さを際立たせながらこの巨大彫刻は佇んでいる。石造りだとわかっているのに、抱き合う裸体の男女の腕、腿、背中には人肌の弾力と温もりを感じる。これほどの生命感を彫刻は表現できるものなのか。さすがは近代彫刻界の巨人ロダンの代表作だけのことはある。 オーギュスト・ロダン《接吻》1901〜04年 ロダン《接吻》のモチーフは、ダンテ『神曲』に出てくる悲恋の物語から取られている。けれど男女を裸体で表現したのは、ロダンの独創である。そもそも彫刻作品においては、人物像の多くは裸体のかたちでつくられる。人間の尊厳と実在感を表し肉体を賛美するには、一糸まとわぬ姿で造形するのがよいと昔から決まっているからだ。 《接吻》としばし対面し感嘆したのち、他作品を通覧していると、西洋美術のヌードへの異常なまでの執着ぶりを強く感じてちょっと驚いてしまう。今展