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家康十男・徳川頼宣が豪気!紀州藩祖は謀反疑惑も笑って「めでたい」
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家康十男・徳川頼宣が豪気!紀州藩祖は謀反疑惑も笑って「めでたい」
寛文11年(1671年)1月10日は徳川頼宣が亡くなった日です。 後に御三家の一つ・紀州徳川家の初代となる... 寛文11年(1671年)1月10日は徳川頼宣が亡くなった日です。 後に御三家の一つ・紀州徳川家の初代となる人物であり、八代将軍・徳川吉宗のジーチャンでもあります。 男の子では上から数えて10番目なので、いい加減扱いがテキトーになるかと思いきや、家康の猫かわいがりときたら現代人からするとドン引くレベル。 頼宣の数え2歳にして水戸20万石をやるわ、同5歳で元服させて駿府に50万石をポンポンあげるわ、その気前の良さを結城秀康(次男)とか松平忠輝(五男・伊達政宗の婿)にも分けてやればよかったのに(´・ω・`) ※当コーナーは結城秀康・松平忠輝を全力で判官びいきです ということで徳川頼宣の生涯を見ていきましょう。