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江戸期以前の乳幼児死亡率は異常~将軍大名家でも大勢の子が亡くなる理由は?
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江戸期以前の乳幼児死亡率は異常~将軍大名家でも大勢の子が亡くなる理由は?
『西郷どん』でも『青天を衝け』でも。 幕末の大河ドラマとなりますと、篤姫が徳川家定に嫁ぐシーンはお... 『西郷どん』でも『青天を衝け』でも。 幕末の大河ドラマとなりますと、篤姫が徳川家定に嫁ぐシーンはお約束ごとのように注目されます。 この家定、生まれは側室腹の四男。 しかも病気がちだったため、跡継ぎ候補として強い立場ではなかったのに、第13代将軍になれたのは、なぜか? 答えは単純。他の兄弟が次々に早逝したからです。 それも男女合わせると20人以上が亡くなる――という現代では考えられないような死亡率でした。 こんな風に記しますと、幕末だけに「暗殺」や「呪い」をご想像される方もおられるかもしれません。 実際、薩摩では、島津斉彬の子供が次々に亡くなり、「由羅の呪詛だ!」なんて騒ぎ(お由羅騒動)もあったぐらいです。 が、さすがに呪詛ではありません。 江戸時代(&それ以前の時代)は、もともと乳幼児の死亡率が非常に高いものだったのです。 無事に成人できる男女は5割にも満たなかったのではないでしょうか。