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頼朝に矢を放ちながら首を斬られずに済んだ山内首藤経俊~89歳の長寿を全うする
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頼朝に矢を放ちながら首を斬られずに済んだ山内首藤経俊~89歳の長寿を全うする
山内首藤経俊は頼朝の乳兄弟頼朝と知り合いだった山内首藤経俊。 なぜ、ドラマではあれほど親しげだった... 山内首藤経俊は頼朝の乳兄弟頼朝と知り合いだった山内首藤経俊。 なぜ、ドラマではあれほど親しげだったのか? 身分を考えると不思議に思う方もいたかもしれませんが、まず始めに人間関係をザッとまとめるとこうなります。 平安時代から鎌倉時代にかけての乳母(うば/めのと)は、実際に母乳を与えるだけでなく、長期にわたり貴人を育てる役目を負っていました。 流人として伊豆に流された源頼朝には複数の乳母がいます。 経俊の母もその一人で、経俊は頼朝と乳兄弟の関係。 他に例を挙げると『平家物語』に登場する木曾義仲と今井兼平もそうなります。 ではなぜ山内尼が頼朝の乳母に選ばれたのか。 それは【平治の乱】において、経俊の父である山内俊通や兄の山内俊綱が、頼朝の父である源義朝と共に戦ったことがあげられます。 義朝に付き従い父と兄が討死したため、経俊が家を継いだのでした。 石橋山の戦いでは平家が勝つもそんな山内首藤経俊、