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川中島バスが走っていた平成初期 長野のバスを振り返る - バス総合情報誌「バスマガジン」公式WEBサイト
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川中島バスが走っていた平成初期 長野のバスを振り返る - バス総合情報誌「バスマガジン」公式WEBサイト
川中島バスは、長野市を中心に長野県北部をエリアとする事業者であった。1983(昭和58)年に前身の川中... 川中島バスは、長野市を中心に長野県北部をエリアとする事業者であった。1983(昭和58)年に前身の川中島自動車が経営破綻し、松本電鉄の支援の下その更生会社としてスタート、好景気にも支えられて再生を遂げた。 その後2011(平成23)年に松本電鉄と経営統合の上、アルピコ交通となった。平成年間は再生・発展、そして統合と大きな変革が訪れた時代であった。 (記事の内容は、2021年9月現在のものです) 執筆・写真/石鎚 翼 ※2021年9月発売《バスマガジンvol.109》『平成初期のバスを振り返る』より 【画像ギャラリー】山岳ルートが多いため旧型のハイパワー車を多く残したアルピコ(11枚)画像ギャラリー 平成が始まって間もなく、1990(平成2)年に松本電鉄グループは新CIを導入し、虹色のストライプをあしらったデザインが導入され、当時子会社だった川中島バスもこの塗装への変更が始まった。 平成初期