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声をかく|(1)ビャンビャン麺に夜露死苦
AIへの質問文の末尾に「あなた自身の言葉で答えて」と書き添えた。八つ当たりにも程がある。いま、「あ... AIへの質問文の末尾に「あなた自身の言葉で答えて」と書き添えた。八つ当たりにも程がある。いま、「あなた自身の言葉」ほど不信にさらされた言葉はないからだ。 AIの作文能力が明らかにしたのは、人間が作成する文章は既存の記号の順列組み合わせであるという、ごくごく常識的な事実だった。言葉が私有物であるだなんて、そもそも誰も信じてはいない。言葉は借り入れ、払い出されているものだ。 肝心なのは「声」と「字」への信仰だった。まず、声には特定の音響的特徴が宿っているゆえ、特定の身体の内から発されているという信仰。次に、言語音が聞き取られ、書き起こされたものが字になっているという信仰。二つの信仰がドッキングしたところに、言葉を個人の内面から発された「声」だと呼ぶ比喩が可能となる。これを応用し拡大すれば、政治的主張や政治参画をも「声」の比喩で表現することができる。「声をあげよう」、「声なき声に耳を傾けよう」…